振り払って、おさらば
引越しの話を職場の人間にしたら、皆嬉しそうにしてくれ、
「遊びに行く」と言ってくれたのは嬉しかった。
父母には「社会はそんなに甘くない」とか「独立したら金がなくなる」と脅され通しの毎日であるが、もう、どうでもいいという気持ちしかない。
私は貧困でもいい自由が欲しい。
彼らの様に縮こまり、人との交流をせず、被害者意識の塊で生きるのはうんざりである。
私は彼らの呪詛を振り払い、出ていく。
出ていって、人間と交流して生きていきたい。
あたたかな関係を築いていきたい。
少なくとも私はそう、思っている。
今日、Twitterのフォロー人数を少し減らした。
ブログもnoteも書かず、ぼんやりと見てしまう癖をどうにかしたかったから、
という理由もあるが、
政治的な話や主義の話や努力して頂点を目指せ系の話に嫌気がさしたからである。
あとは、まあ、「もう見なくてもいいかな」と思うアカウントや、なんとなくフォローしたアカウントともさよならすることにした。
Twitterをエンターテイメントとして消費するのではなく、自分の情報を発信する為のツールとして使いたくなったのである。
だから、必要でない(というと失礼になるが)娯楽面が強すぎるアカウントや主張の強いアカウントとはしばらく距離を置く事にしたのである。
考えてフォロー解除できたのだから、なかなか、えらいではないか。
少し前進できて嬉しい限り。