フランスみたいにもっとゆるくていいのになあ
少し前に図書館でパリでの暮らしに関するエッセイを読んだ。
タクシーの運転手が客を待っている間に編物をしていたり、
人の家を訪れる時は手作りのお菓子やお料理を持って行ったり、
人が来る場所だけ綺麗にして他の部屋は多少汚くてもよかったり、
平日は質素な食事をして週末に家族や友人を呼んでちょっとよい食事をしたり、
外出も近くの公園や川辺だったり、
部屋で本を読んでゆったりしたり、
祖父母や父母の服を子や孫が受け継いで着て流行を追わなかったり、
いいゆるさだなと思った。
私の住んでいる国はあまりにもガチガチで狭苦しく互いに欠点を探し合っているような、殺伐さがあるなと思う。
仕事中は仕事の事しかできないし、
手作りの贈り物はケチな人や自己評価が高い人がやるものだと思われているし、
平日でも一汁三菜の食事じゃないといけないと言われているし、
友人との時間も外食じゃないとケチか食意識が高い人と判断され、
外出も人の多い観光地じゃないとと思い込み、
インドアの趣味は陰気だとされ、アウトドアの方が尊ばれている。
すごく疲れる。
消費すること、人から見て羨ましがられるかという点ばかりが注目され、行為内にある本質的な部分が無視されていると思う。
私は、大切な人とお話しできるなら家の中でもいいし、手作りのものを持ちあって食べてもいい。外出だって近くの公園や自然の多い場所でのんびり一緒に過ごしたい。
家の中で本を読んだり、ゲームをして過ごしたっていい。
観光地に行くのだって疲れるから、半年に1回ぐらいで十分である。
食事だって平日は疲れるから具がたっぷり入った味噌汁とご飯でいいし、ちょっと元気がある日は焼き魚とかお肉屋さんで買ったコロッケが付いてればもう、ご馳走だ。
最近は服装もセーターにジーンズかスカートという組み合わせが多く、女性らしさとかモテとは縁遠い姿で生きている。
そういう人間なので、結構生活は質素だ。
他の人に比べて「貧しい」とか「酷い生活だ」と思った事はあんまりない。
本を読んで思索をし、下手だけど物を作り、朗読をし、妹とゲームに興じ、ブログで適当なことをつらつらと書いて、自分の作った料理を美味しい美味しいと食べ、満足している。
それが惨めだと言われても「それが、なんでござんしょう?」と平気な顔をしている私は結構幸せ者なんだと思う。
日本は幸福を感じている人間が少ないと言われているが、本当は望んでいない”幸福と言われている物”を追っているからじゃないかと思う。
「みんながしているから」で求めるものでは幸福は得られない。
「みんなはしていないけど、わたしはしたいから」で求めるものが最も幸福を得られるものだ。
私がフォローしている辻仁成さん(フランス在住の方)のツイートにフランス人の考え方が最も強く表れていると思う。
フランス人はどうして変わり者ばかりなのとバンサンに聞いたら「ムッシュー辻それは違う、フランス人は個性豊か、みんな自分の人生を一番大切にしてるだけ。カフェで大スターがいても、みんな私だってスターじゃんって顔して無視。カフェがスターだらけになる国民性だよ」笑。バンサンかく語りき。 pic.twitter.com/uvPDQJiLoD
— 辻仁成 (@TsujiHitonari) 2017年11月17日
「みんな自分の人生を一番大切にしているだけ」という点が一番大きいと思う。
”みんな”でもなく”誰か”でもなく”自分”の人生を大切にしているのだ。
だから、誰かと比べたり一緒じゃなくても幸せでいられるのだと思う。
私も、フランスに行きたいなあ。