しっかりしてないブログ

しっかりしない、がんばらない

焦れワタシ

 

 

考えることが多く、頭がパンクしそうである。

ファッションの事もそうだが、自身の生活に関しても、どう仕事をして生きていくかという問題もある。

 

恋愛と結婚については既に諦めており、持ち家や車に対する所有欲も薄く、他人に対する承認欲求も非常に薄い。

 

外食も億劫な気持ちが強く、高級な菓子に対する希求も薄い(そもそもバターたっぷりであったり、味がきつかったりするものは食べるのが苦しい上に体調を壊しがちである)。

 

娯楽目的の旅行もあまり興味がなく(だいたい観光地は人が多く、景色を見に来てるのか、景色を見に来ている人間を見ているのか分からない上に、地方も画一的な建設物が多く、ぶっちゃけ言うと何処も同じようにしか見えない)、美容に対してもオブラートぐらいの関心しか残っていない。

 

枯れに枯れていて、もうあとちょっと欲をそぎ落とせば、ありがたい即身仏にでもなるんじゃないかという状態である。

 

唯一ある欲といえば、自分の頭の中にある種々のイメージをどうにかこうにか外に出してしまってスッキリさせたいという欲と、読書欲、ぐらいである。

 

読書欲はまだいい。読みたい本を借りるなりして読んでしまえばすぐに収まるからだ。問題は頭の中のイメージを出したいという欲である。

問題点が2つあり、

1つめは、ビジョンはハッキリしているが自分の技術不足で上手く出力できないこと。

2つめは、ビジョン自体がはっきりしておらず曖昧なイメージのまま浮遊しており、「出したい」という気持ちはあるのだが、一体何を出したいのか自分自身にもよくわかっていないことである。

 

1つめの問題はこのブログを書くとか、刺しゅうをするとか編み物をする等の日々の努力によって技術力を上げることで対応する事が可能になるだろう(それでも、自分は本当にこれがやりたいのだろうかと悩み、己の技術不足に涙し、半ギレになりながらやっているから楽しくてやってるのかすらも不明である。ただ、やめるのも嫌であるし放り出した所で他にやりたい事もないので、大半は無心、時々半ギレを繰り返しながらやっている)。

 

2つめはどうにもできないのである。脳みその中に曖昧なイメージが散らばっている事を視界の端に捉えつつ、形になるのを待つしかないのである(ただ、この視界の端をひたすら注視し、うんうんと悩み、なんとなく必要そうな書物を読み漁り、切れ端のようなイメージをメモに書く等しているせいで外界の事なぞすっぱり忘れてしまいがちな所があり、自分の人生を脅かしているのである)。

 

困った事に自分の人生をどうしたいかという点について、いつまでたっても2つめの問題から進展しないことである。

 

同世代の女性が正社員として働き、異性と付き合い、結婚し、子供まで産んでいる現状を見ても「すごい」以外の感想が出てこず、焦りも劣等感も感じないのである。

本来は劣等感を感じ、自分に性的な魅力が無い事を恥じ、家庭的でもない自分を反省するべきなんだろうが、何も、感じないのである。

家庭を持って安定した生き方をするというのは自分には到底無理なことだとハッキリ自覚している故に、妬みの感情すら起きなくなってしまった。

 

「普通に生きる」という目標を諦めてしまったが故に、自分の人生に対する計画というものが全く立てられず、このままだと低所得で死ぬまで独身、孤独死コース一直線待ったなしなのだが、もう、全然焦ってないのである。焦ろ私。焦ってくれ私。

 

本当はもうちょっと書きたいけど、長くなったので今回はここまでにする。オチがないね。びっくり。