縋り付きたい気持ち
刺しゅうを本気でやろうと思い立ち、「綺麗に刺す」事を目標にやっているのだが、どうも思ったようにいかず、泣きそうになる。
糸目の揃わない刺しゅうができ上がった時、心の中はだだをこねる子供のような心地で半泣きなのだ。
思わずヒンヒンとすすり泣く私に対し「じゃあ、辞めるの?」と問うと「やめない」と言う。強情である。
「じゃあ、もうちょっと」と再度初めて少し経つと「もう、駄目だ。下手くそだあ」とのたうち回り、飽きたらまた針を持ち、のたうち回り、針を持つ。
ふざけていると思われるかもしれないが、本人は本気なのである。本気だから悔しくなってのたうち回っているのである。本気でなければ「わーい楽しい」「ちょっと失敗しちゃったけど、趣味だし、いいよね」でスルーしてのほほんとやっているだろう。
本気だからすすり泣き喚きつつやっているのである。
楽しいか楽しくないかと聞かれれば、楽しくて苦しく、苦しいが楽しいのである。
綺麗に刺す事が出来た時は途方もなく嬉しいし、出来なければもう、ゴッホの如くブチキレて耳を削ぎ落とさんばかりの荒れようで、感情の上下が激しく疲れてしまうが、生きている心地はある。
私が刺しゅうや編み物、洋裁という行為をのたうち回りながらやっているのは、生きている心地がするからだ。手を動かして物を作っていると、自分に力があるような気がしてくる。生きる力が私の手に残っているような気がするのだ。
自分の技術力のなさに文句を言いながらも続けているのは、この、生きる力に縋り付きたいからかもしれない。