スタンダードという選択
スタンダードなものが好きだ。
長い年月に耐えることができ、魅力が衰えないからだ。
刺激が少なく無個性で地味であるが、短期間で消費されずしみじみと長い時間を共に過ごすことができる。共に過ごしている内にだんだんと個性というものが現れて、所有者の独特の味わいというものを醸しだしてくる所がよい。
服ならば、解れたセーターにダーニングや刺しゅうを施したり、ブラウスにレースを縫い付けたり、気分でシャツのボタンを取り替えたりする。
食器ならば、染みがついたり、割れを金継ぎしたりする。
そういう事をくり返している内に全く無個性であったものが、世界で唯一の存在へと変わっていく。
私の敬愛するイヴ・サンローランは
「ファッションは色あせるけど、スタイルは永遠」
と言ったらしい。
スタンダードはファッションではなくスタイルであり、色あせることのない魅力を持ち、流行という移り変わる物に対抗できる本質なのではないかと思うのだ。
長く持ち続けることで、大切に愛でながら多くの記憶を共に生きることができる。
それはとても素敵な事だ。
多くの物を作り、消費し、廃棄することをよしとする風潮を私は好かない。
ただ単に流行を追うのが面倒くさいというのもあるが、上記の風潮が人間にも当てはめられて、個々人を見る事なく消費することをよしとし、人間関係の希薄さにも通じているような気がするのだ。
確かに綻びができれば繕うよりは捨てて新しいものを得た方が早く、効率がよい。
一度駄目になってしまった人間関係は修繕の努力をするより、よく似た人間を探して新しく関係を作った方が手っ取り早く楽である。
私自身今までそのようにして生きてきた。
多くのものを手にして多くのものを捨ててきた。この繰り返しが人生であるというのならばあまりにもつまらない。
あまりにもつまらなくて味気ない。
物を多く所有しても心は満たされず、新しいものを追い求めても掌中の砂の如くすり抜けていく現実を見て実感した。
これは、私が望んでいることではない。
長く付き合いほつれができれば修繕し、大切にしていく事が人生において最も重要なのではないだろうか?
多くを所有することよりも、少なくても補修しながら長く付き合うことのほうがずっと大切なんじゃないか?
そういう考えが頭の中に浮かび、心へと浸透し、確信へと変わった。
この考えは私の信条となり、軸となっていくだろう。
お金がかけられないからスタンダードを選択するのではなく、大切にしたいからスタンダードを選ぶという姿勢を大切にしていきたい。
あなたは、どういう選択をしてどういう姿勢で生きていきたいですか?