しっかりしてないブログ

しっかりしない、がんばらない

生姜焼の幻

 

お昼、お腹が空く。

あまりの空腹に鼻が生姜焼きの幻を嗅ぎあてる。

思えばしばらく生姜焼きを食べていない。

「食べたいなあ」と思う。

 

欲が起こると、

甘しょっぱいタレの味わい、

しょうがのピリリとした辛さ、

白いご飯と共に食べた時の幸福感、

が瞬時に連想された。

 

時計を見ると正午まで10分もの時間がある。

待たせる時間の流れは早いが、

待つ時間の流れは遅い。

 

生姜焼を想いながらちらちらと時計を見る。

仕事にならない。

卓上にある書類の束なぞ目に入らず、

心の目は生姜焼きを見つめている。

 

午前の仕事はもう、おしまいにしてしまうことにした。

 

 

 

 

実は昨日から文章の書き方をあれこれと試している。

しばらくこの実験を続けるつもりなので、

「なーんか変なの!」って思いながら読んでもらえると嬉しいな。

自分でも「これって読みにくいけど、リズムは面白い」とか、

「この文章はドット柄っぽい文章だ」とか考えながら書いている。

実験しながら物を書くのは楽しいので、

皆さんにはちょっとこの道楽に付き合ってもらいたい。

 

雪の降った日

 

ひやりとした寒気で目が覚めた。

寝ている間に布団を少し剥がしてしまったらしい。

薄い毛布だけが上半身にかかった状態で眠っていたのでは寒いに決まっている。

「さむい」と頭の片隅でぼんやりと思いながら、布団と毛布を頭まですっぽりと被り、浅い眠りについた。

 

 

起床時間になり目を覚ます。

布団から出ると、足が指の先から痛い程冷たくなっていく。

今年は暖冬だと言われ小春日和の続く日々であったが、

突然思い出したかのように冬の心地となったようだ。

吐く息は白かった。

 

 

カーテンの隙間から漏れる光が薄暗く、

今日は曇りか雨だろうと思っていたが、雪であった。

どうりで寒いわけだ。

 

 

昨日、今季はもう降らないだろうと妹と話していたのだが。

 

 

雪の降る程寒い日だと思うと、顔を洗う水がいつもより冷たく感じる。

張り裂ける程冷たい水を顔に当てる。眠気が逃げていく事を願って。

 

 

「今日は肉まんの似合う日だなあ」と思いながら雪の積もった道を行く。

あつあつの肉まんをわあっと割ったら噴き出すように白い蒸気がもくもくと上がるのを想像していた。溶岩のように熱い餡がなだれ出るあんまんもよいと思う。

なにしろ寒くて仕方がないので、あたたかい食べ物を考えて心だけでもあたたかくしておきたかった。

 

 

日々、変わらぬ業務を成して昼。お弁当の時間。

 

カリフラワーとキャベツのスープ、催事で購入したライ麦パン、残っていたアヒルのペースト、ぶどうとリンゴ、アポロ味のヨーグルト。

 

カリフラワーとキャベツのスープは昨日仕込んだものだ。

バターでカリフラワーとみじん切りにしたキャベツ、ハムを炒めてから水とレンズ豆を加えてコトコトと煮、塩と胡椒で軽く味を付けただけの素朴な味。

保温ジャーをお湯で温めてから入れたので、お昼になっても温かいのが嬉しかった。

 

ライ麦パンは少し塩気が強かったので、個人的にはもうちょっと薄い味であるとよいと思った。

 

ヒルのペーストは正月に食べきろうと思い購入したのだが、なかなか減らずに今日まで来てしまった。

レバーのもったりとした味わいとオレンジピールの爽やかな香りが楽しめる一品である。いずれこういうレバーペーストも自分で作れるようになるといい。

 

アポロ味のヨーグルトであるが、イチゴ味のヨーグルトとチョコソースが合わさったもので、美味しいとも不味いとも言い難いものであった。

チョコソースをたっぷり付けて食べると何となくアポロチョコを思い起こすが、思い起こす程にソースをどっぷりと付けて食べると、最後の方には酸味の強いヨーグルトばかりが残ってしまう。

塩梅の難しい食べ物だ。

 

 

午後3時頃になると、陽が出てきて暖かくなった。

積もっていた雪もすっかり溶けてしまい、冬の面影は風の中に残っているばかりであった。

振り払って、おさらば

 

引越しの話を職場の人間にしたら、皆嬉しそうにしてくれ、

「遊びに行く」と言ってくれたのは嬉しかった。

 

父母には「社会はそんなに甘くない」とか「独立したら金がなくなる」と脅され通しの毎日であるが、もう、どうでもいいという気持ちしかない。

 

私は貧困でもいい自由が欲しい。

彼らの様に縮こまり、人との交流をせず、被害者意識の塊で生きるのはうんざりである。

 

私は彼らの呪詛を振り払い、出ていく。

出ていって、人間と交流して生きていきたい。

あたたかな関係を築いていきたい。

 

少なくとも私はそう、思っている。

 

 

 

今日、Twitterのフォロー人数を少し減らした。

 

ブログもnoteも書かず、ぼんやりと見てしまう癖をどうにかしたかったから、

という理由もあるが、

政治的な話や主義の話や努力して頂点を目指せ系の話に嫌気がさしたからである。

 

あとは、まあ、「もう見なくてもいいかな」と思うアカウントや、なんとなくフォローしたアカウントともさよならすることにした。

 

Twitterをエンターテイメントとして消費するのではなく、自分の情報を発信する為のツールとして使いたくなったのである。

だから、必要でない(というと失礼になるが)娯楽面が強すぎるアカウントや主張の強いアカウントとはしばらく距離を置く事にしたのである。

 

考えてフォロー解除できたのだから、なかなか、えらいではないか。

少し前進できて嬉しい限り。

 

 

梅の花を見ながら

3月の節句が近く、お菓子売り場に可愛らしい色合いの豆菓子が売り出されていた。

五色豆である。

白、桃、黄、茶、鶯色の5色の砂糖の衣を着た豆で、それぞれ色に意味合いがあり、

全てを合わせて大地を表しているらしい(詳細は各々ネットで調べてくれ給え)。

 

 

普段であれば豆菓子は買わないのであるが、

ころころとした形と薄い色合いの優しい印象にほだされて、

つい、購入してしまった。

 

 

どうせ買うのならばと、豆の色ができるだけ均等に入った物がよいと思い、アレコレと手を伸ばしては「違う、違う」と言っていたので、売り場の人も買い物客も変な人間がいると思い困ったものだろう。

 

 

家へ帰り、早速ほうじ茶を淹れてお供にする。

口に入れると砂糖衣の甘さがあり、かり、と噛むといり豆の香りが広がった。

複雑さのない素朴な味である。

幼い時であれば嫌で仕方がなかったであろうが、歳をとり、素朴な味が口に合うようになったのか美味しいと感じた。

 

 

暖冬の影響か、いつもより早く梅の花が咲いた。

1つ、咲いたなと思うと次々とぽんぽんと咲き、

あっという間に満開といった心地となった。

 

 

今日は天候もよく、風も穏やかで空気も暖かい。

窓辺近くで梅を見ながらお茶を楽しむ事ができて、幸せな日だ。

 

 

 

お塩とお砂糖で丸くなった心

 

前日の塩と砂糖の入れ間違いから、心が少し軽くなった。

 

以前であれば、

「こんな馬鹿な間違いをしてしまった」

「自分はこんな簡単な事もできないのか」

と自責に駆られ、劣等感で息も出来ない程に苦しんでいただろう。

 

でも、今回は笑って済ます事ができた。

気持ちの良い転び方ができた。

 

小さな失敗を笑って「いいネタになったなあ」と思えるという事は幸せな事だ。

「いいネタになったなあ」と思ってブログに書いたり、

人に話したり出来る事も、そうだ。

 

ささいな失敗をハハハで済まして終わらせられるのは、

なんて気持ちのよい精神なのだろう。

また1つ、生きることのハードルが下がった気がする。

障害が減ったと言った方が正しいだろうか。

「ハハハ」と笑える余裕が心の隙間に出来て、どんどん広がっていけばよい。

 

 

文章を書く時の気持ちも変わってきたような気がする。

前は、

「もうちょっと主張みたいなものを書いた方が…」

「中身があった方がいいんじゃないか」

と思い、文章を書くのに気張った所があったが、

「もう、いいや」と少し吹っ切れた。

 

このブログは私のもので、気張って書くようなものではない。

自由に生き生きと私が感じた事を素直に書けばいい。

軽々とした筆致で書けばいい。

 

そういえば私は常々「上手くやろう」と思うばかりで、

「楽しむ」という事ができなかった。

 

刺しゅうも、絵も、文章も。

 

かきたいようにかく、というよりは「上手くかこう」としか考えていなかった。

それが私の不自由さに繋がり、四面楚歌でぎこちない動きになっていたのだろう。

 

今なら少しずつ、下手くそながらも「人生」という舞台の上で踊れるような気がする。

台本も決められた役柄も、練習した振付も、全て捨てて。

 

心のままに

 

 

 

マンガみたいな失敗

 

明日のお弁当用にホットケーキを作っていた。

 

なんとなく体に良さそうという理由から豆腐入りのホットケーキにしたのである。

 

絹ごし豆腐を滑らかになるまで泡だて器で混ぜつぶし、卵をパカリと1つ入れてグルグルとする。砂糖、ひとつまみのお塩、大さじ1程の油。粉を入れる前にペロリとタネを舐めてみたら…

 

 

しょっぱい

 

 

おかしいなあ。舐めた所に塩が固まってしまったのかなあ。と考えながらもう1度舐めてみても、やはりしょっぱい。

「うーん、不思議」

と思いながら砂糖の入っている瓶の中身を舐めると…

 

 

しょっぱい

 

 

あー!なんだあ。これ、お砂糖じゃなくてお塩だったんだ。

マンガみたいなベタな失敗をしておかしくて仕方がなかった。

こんなこと、本当にあるんだね。

フィクション内でしか起きない事だと思っていたから、面白いやら珍しいやらで楽しい気持ちになっちゃったのである。

 

 

「あーあ、やっちゃったなあ」

と反省とおかしさが半分こになった気持ちで、失敗作を流し、

新たに作った豆腐入りホットケーキはしっとりフワフワな美味しいものになったので、すべてよしとするのだ。

あんまりにも寒い日で

 

今日はとても寒かった。

 

風がビュゥゥオオオオゥゥゥオゥ!!!!!と吹き荒れていて、マフラーは飛ばされそうになり、髪はボッサボサになるまで撫でまわされて、スカートは脚に絡みつくしで、もう、体中むちゃくちゃにされてしまった。

 

あんまりむちゃくちゃにされたものだから、「今日は食べたいものを食べよう」という気持ちになり久々にサイゼリヤに行った。

 

多分、1年ぐらいぶりである。

 

ナポリジェノベーゼエスカルゴ、レモンシャーベット、白ワインを頼む。

本当は食後酒に甘口ワインを飲みたかったのだけれど、品切れだったので諦めたのだ。

 

ナポリジェノベーゼはホロホロとほぐれる柔らかな牛肉と玉ねぎの甘みが優しくて、風にむちゃくちゃにされて疲弊した私の心をすっかり和ませてくれた。

 

私、ジェノベーゼってバジルで作った物しか知らなかったから、初めてナポリジェノベーゼを食べて「ジェノベーゼって色々種類があるのね」と思った。

 

で、「そういえば、ジェノベーゼって何なんだろう」と思ってパソコンでカタカタと調べたらこんな記事に行きあたった。

 

 

 

kanzo.jp

 

どうも「ジェノベーゼパスタ」って「ジェノヴァの(料理人が作ったすごく美味しい)パスタ」という意味で、バジル要素は全然ない。はえー!調べてみるものね。

探せばもっと色々なジェノベーゼがあるかもしれないし、これから新しい味のジェノベーゼが生まれるかもしれないし、こう考えるとちょっとドキドキワクワクする。

 

 

エスカルゴは相変わらず美味しかったのだけれど、齢故に「もう、油気の多いものは駄目かもなあ」と思った。

 

白ワインとレモンシャーベットの組み合わせはすごくよかった。

白ワインの酸味とレモンシャーベットの爽やかさがぴったり合わさって、少し贅沢な気分を味わえた。

 

 

次回は是非とも甘口ワインやグラッパを飲みたいなあなんぞと考えながらサイゼリヤを後にした。