最後の晩餐はいかに
表題の通り、見つけちゃったのである。
たまたま帰りに寄ったスーパーで発見し、いやっはー!である。
帰りのバスの中我慢できずに「1つだけ」「もう1つだけ」「あと1個だけ」をくり返して1列食べてしまった。
久々に食べたベビーシューは記憶の中のものよりも品のある味で、カスタードクリームは水あめで薄めたようなベタベタではなく、見た目も味もカスタードクリームといって差し支えない範囲に収まっていた。
時代の流れによって駄菓子のような大雑把なカスタードクリームは淘汰されてしまったのかもしれない。
そもそも何故私が謎のノスタルジックな気持ちになり、ベビーシューを執拗な程に求めたのかというと、ミリュエル・バルベリの『至福の味』を読んだからだ。
読み終わった後、猛烈にベビーシューが食べたくなり、あれこれ探してやっと見つけたのである。本の中に出てくるプチシューと味も食感も違うけれど、「主人公が口にしたかったのは、こんな味なんだろうなあ」と感じ入るには十分だった。
私がもし「あと2日で死にますよ」と死亡宣告を受けたら、一体何を食べたいと思うのだろう。主人公のようにあれでもない、これでもないと記憶を手繰りながら食べたいものを必死で探すのだろうか。
「どうせ死ぬのだから」と暴飲暴食の限りを尽くすかもしれない。
反対に薄く作った白粥をほんの少し口に入れて死を厳かに待つかもしれない。
しかしよくよく考えて見れば、私の命はいつ何処で果てるか分からないものだ。
眠っている間に布団の中で息絶え、今夜のおやつにしたベビーシューが最後の晩餐になる可能性だってある。
「これが最後に食べる味かもしれない」という意識は頭の片隅に持っておいた方がいいのかもしれない。