しっかりしてないブログ

しっかりしない、がんばらない

虚無と怠惰の味

 

朝、職場でインスタントコーヒーを飲んでいる時に、ふと「自分は虚無を飲んでいるな」と思った。

 

香り少なく、味に深みもなくただただ苦いだけの茶色の飲み物を、特に何の印象も感慨もなく飲んでいる。「おいしい」とも「まずい」とも言えないものが喉を通り過ぎていく。

インスタントコーヒーの味は印象の薄い日常の味であり、過ぎ去れば消えていく(もしくは過ぎたという感覚すらない)最も虚無に近い味であり、味わう事なく飲んでいるという点では怠惰の味である。

 

人生は短く、人は予期せぬ時に死ぬ。あと何回食べるという行為ができるか分からぬのに、このような虚無と怠惰を味わっていていいのだろうか。インスタントコーヒーを飲んだことで貴重な機会を1つ潰してしまったという事に気が付いてしまって、ショックである。

 

そして、今まで口にして来たものは皆、虚無と怠惰の味だった。

「食べる」という行為が余りにも日常的な行為で、意識することが少なく。

「美味しい」とか「不味い」という大雑把な判断以外は何も、何も感想を持つ事がなかったのである。

食事1回にしても、見た目、香り、食感、状況等々感じるべきものは多く存在していたのに、私は何も考えず、ただ、腹を満たす為だけに食べていた。食べ物と向き合うことをせず怠惰な姿勢であった。存在していたものを虚無へと変えるばかりであった。

 

もったいない。あんまりにももったいない。

食べ物とて私と同じように世界に存在しているのに、それらの発している諸々の情報を一切受け取らない食べ方をしていたのである。

食べ物とのコミュニケーションを一切取らずに、ただ、ただ、消費していたのだ。

馬鹿だ。馬鹿すぎる。怠惰にも程がある。

 

 

よし。豆を挽いて、明日はインスタントじゃなくてドリップコーヒーを職場で飲もう。

もしかしたら最後の一杯になるかもしれないのだから、思いっきり味わって飲んでやろう。一杯のコーヒーが語るものをできるだけ拾うように、丁寧に受け取るように飲んでやる。